「全国優良畳店 35事例集」
畳店No.1※期間限定公開
宮崎県栗原市 (有)只見工業所
代表取締役 只見 直美様
<タイトル>
畳を作らない私でもこんなに売上を増やせた
<発表内容>
私は畳店の長女として生まれ、幼い頃から畳店の仕事を見聞きしていました。
住み込みの職人さんもたくさんおり家族同然で育ちました。
ワラ床製造販売と仕上げの両方をして忙しく、10トン車が常に出入りして景気が良かったようです。
父は住宅構造の変化にともないクロスなど内装にも力を入れ、その後カーテン・カーペット・上敷きなども扱うようになりました。
栗原市若柳は人口1万5~6千人の小さな町です。
個人の仕事だけでは売上が期待出来ないので、ワラ床販売と工務店の仕事をどんどんやっていました。
すごく忙しく売上の8割~9割あり毎日残業ばかりしていました。しかし利益は少なかったようです。
私は短大卒業後、経理の学校に行き1年間経理の勉強をした後、実家に入りました。
平成10年頃のことですが、帳簿を見ていて大変な状況になっているのに気がつきました。
取引先の条件が悪化していました。また従業員の高齢化が進み、この先人材の入れ替えが必要なことや、従業員がいるので福利厚生の問題など山積みでした。
社長と半年かけて話し合いの末、ワラ床の部門を閉鎖することにしました。
売上は半分以下になりました。
畳工事に特化してもどうすれば売上を増やすことが出来るのか判りませんでした。
ワラ床の販売をやめたことにより風評で廃業したように思われました。
そこで以前から畳のお客様の住所を管理していたのでDMを出すことにしました。
これまで一切PRをしてこなかったこともあり中々仕事は増えませんでした。
土地柄「目立ちたくない」という空気があり、チラシをまかず看板も出していませんでした。
平成14年夏、機械の調子が悪く入れ替えを検討していました。
父が機械を選ぶと、仕事に口を出すし20代の若い社員に選ばすにはまだ無理があるので悩んでいました。
そんなタイミングで極東産機の営業マンが来ました。
たまたま父が出かけており私が留守番をしていて、そのとき「構造改革提案」の小冊子をもらいました。
これを読んで「何とかしたいという自分の思い」とぴったり合い、私の中では「これをやるしかない」と考えました。
決めるにあたり娘の特権を活かそうと思いました。
私は製造しないので、社員が新しい機械に慣れることが出来るのか、社長が選ばなかった機械でいいのかどうか決定するのに不安はありました。
人を使わず家族のみで経営するという選択肢もありましたが、家内工業に戻すつもりはありませんでした。
そこで「お父さんは120歳まで現役でやってくれるの?」と問い、「私に任せて欲しい、このチャンスを逃してはならない、何もしないことのほうが不安だ」と言ったので何とか説得することができ、表面的には賛成してくれました。
「構造改革」を決断した3つの魅力
(1)システムを変えられる
パソコン活用による事務処理の効率化(手書き×)
(2)営業力がつく
コンサルタントの指導を受けられる(第三者のアドバイス)
家族だけでは前向きな意見は通らない
(3)人を育成出来る環境づくり
社員が20代だったので育てることが出来る
平成14年コンピューター式畳製造ロボットを導入して構造改革を実施しチラシを出しました。
新規のお客様を獲得するには安心感が必要なので顔写真を出すことにしました。
抵抗はありましたが「廃業した」という風評を覆す目的とリピーターの方にも元気で仕事をしていることを知ってもらうためでした。
何回かチラシを出すことによってPRする習慣が出来ました。
こちらから情報発信すると、いろいろな情報が入ってくるようになりました。
他県の畳店と情報交換しないかとお誘いがあり、商圏が重ならないので本音で話すことが出来ました。
10人10色のやり方を知りました。今まで井の中の蛙であったと思います。
交流することにより一人で勉強するより何十倍の効果があったと思います。
「東北畳研究会」のメンバーと熊本のイ草産地にも行きました。
生産現場を見て、畳のことについて何も知らなかったことを痛感しました。
農家の苦労を知りませんでした。
畳業界を支えてくださる方が一杯いらっしゃることを知りました。
畳店との交流によりチラシの内容も充実し効果が出てきました。
一般客の構成比率も58%になり喜んでいました。
このまま伸ばせれば個人だけでもいけるかなと有頂天になっていました。
しかし、良いことばかりではありません。
平成17年市町村合併によって今まで請け負ってきた公共事業が競争となり3年間で3分の1に減りました。
地元の公共事業も取れなくなりました。
せっかく個人客を伸ばしたのに、また新規の工務店などの開拓が必要となってきました。
畳店との勉強会は続いておりますが、同業者なので共通な問題、悩みが多いです。
しかし業界の構造上解決出来ない問題が出てきました。
例えば「1月、2月に売上を増やすにはどうするか?」というようなことです。
そこで問題解決のため「異業種交流会」に参加することにしました。
他業種の中には1月、2月でも元気な企業経営者がおられました。
利害関係が無いので相談にのってもらっています。
家族や同業者では考え方が同じで解決出来ないこともあります。
私にとって構造改革は全てを変えるキッカケになりました。
「変わりたい」と思ったときは思い切ってチャンスをつかみに行くことです。
現状維持は衰退だと思います。
目標を低くするといつまでたっても伸びません。
大きなビジョンをムリムリ掲げた方が良いと思います。
今回セミナー講師を引き受けたのは、もう一度畳業界の方と交流しようと思ったからです。
研究会メンバー以外の現状を知りたかったことです。
また、自分たちが積極的に情報発信をすることにより、
宮城県知事の訪問や観光協会の訪問がありました。
どなたかが推薦してくれたと思います。
経営理念は「畳を世界に発信しよう」です。
日本の文化である畳を通じてイ草の香りでいやしたいと思います。
地元が高齢過疎化となってきました。
自分たちはこの地域に生かされてきた恩返しとして「子供が帰って来たい、元気な町づくり」に貢献したいです。
※平成21年2月14日「青森セミナー」発表内容より