「全国優良畳店 35事例集」
畳店No.20 ※期間限定公開
静岡県浜松市 (有)伊熊畳工業
代表取締役社長 伊熊 祐司様
<タイトル>
構造改革をして売上1億円以上になりました
<発表内容>
浜松市はうなぎが有名で自動車産業の町です。
自動車関連の町工場が多くリーマンショック以降大変景気が悪くなりました。
しかし、畳の仕事はやり方次第でまだまだあると思っています。
私は16歳で畳の修業に出ました。
21歳で結婚して、24歳で独立しました。
当時はサンダーを使い6畳1間のお店からスタートしました。
親方からいただいた20万円を元手に13万円の軽トラックを買いました。
平成13年、42歳で構造改革を始めました。
構造改革前の状況は、お金が無くてやり繰りが大変で、夫婦喧嘩が絶えませんでした。
当時の私はどんぶり勘定で商売を行っており、材料費等の買掛金を支払うという感覚が希薄でした。
材料商には800万円以上の買掛金がありました。
その支払に女房が苦労していました。
その他にも100万円以上の借金がありトータル1000万円近くの借金がありました。
自転車操業をしながら、綱渡りの生活でした。
その様な時に、タウンページを見て極東産機の営業マンがやってきました。
極東産機というと、大型の機械で畳を大量生産するというイメージで「我々の敵かな」と考えていました。
「関係無い」と思い適当にあしらいましたが、女房が相手をして真剣に話を聞いていました。
その後、女房は名古屋で開催されたセミナーに参加しました。
当時の売上は2200万円程度でした。
セミナーを聞いて、チラシを作り、ポスティングをしたりして売上が700万円上がりました。
「なかなか頑張るな」と横目で見ていました。
お客様から、ふすまやクロスなどの注文が入るようになり、実際は仕事の経験が無かったのですが全部受けるようにしました。
その後ふすまの仕事が多くなり、外注先に月々50万円程支払っていました。
内作しようと考えていたところ、ふすまを張る機械があると言う事で、女房・息子・社員4人で極東産機の展示会に見に行きました。
見学して帰ろうとしたところ、営業マンと故頃安新会長に呼び止められました。
部屋に入って話を聞いたところ、当社の工場レイアウト図が用意してありました。
会長から、機械を入れて半日作って、半日営業しなさいと言われました。
私は営業が出来ないので無理ですと言っていました。
ところが、営業と言っても飛び込み営業をするのでは無く、チラシをポスティングしたりDMを出したりして営業をするという事でした。
「苦手な事はやらなくていい」ということでした。
買掛金の支払い、家のローンもあり、これ以上支払いが増えるのはリスクが大きくどうしようかと悩みました。
そこで実行した畳店の生の声を聞くために、静岡市と藤枝市の畳店さんに会いに行くと、「やって良かった」ということでした。
また構造改革に踏み出せない理由として、畳組合と同業者への遠慮がありました。
自分だけがチラシを撒いたりするのが申し訳ないと思っていました。
職人気質が邪魔をしました。コンピューター式機械に対して拒否反応もありました。
そして提案通り本当に売上アップが出来るのか不安でした。
しかし、これも何かの縁かなと思い42歳の厄年でしたが躍動しようと、死ぬ覚悟で決断しました。
このままでは家族を幸せに出来ないと思いました。
構造改革後、コンサルタントの指導を受け、
1年目は2900万円
2年目は4800万円
3年目は7000万円
4年目は1億500万円
そして5年目1億3500万円と順調に売上が上がりました。
ところが、リフォーム担当の社員が交通事故に遭い長期入院しました。
それで売上は急激にダウンし7000万円まで下がってしまいました。
その後徐々に回復し今では1億円までになりました。
構造改革後、チラシを撒いて気が付いたことがあります。
独立して20年近く商売をしており、いろんな所に顔を出していましたが、全く知名度が無かった事です。
初めて撒いたチラシの反響は全くありませんでした。
何度か繰り返し実施する事によって知名度が出るようになり、注文も取れるようになりました。
そして莫大な借金もすべて返済することが出来ました。
販促費の費用対効果も意識する様になり、タウンページからの注文も愛想良く応対し、何とか注文を頂けるよう心掛けました。
平成18年、静岡市清水区に支店を出しました。
きっかけはハウスメーカーから静岡全域の仕事を任されたことです。
浜松市は県西部にあるので、東の伊豆半島までは大変遠いのでこの場所を選びました。
当時長男が26歳で2年間の修行から戻ってきておりました。
そこで息子に支店に行ってもらうことになりました。
ハウスメーカーとリフォーム会社の仕事を中心に仕事の拡大を行いました。
その後、支店を本店から独立させました。
将来の夢として、支店をもう一店出したいと思います。
以前は不動産会社を作ろうと考えていましたが、今は、従業員さんに独立してもらうのが夢です。
また苦労をかけた女房の笑顔を見たいのでもっと仕事を頑張ります。
構造改革とは、機械を入れてコンサルタントの指導を受けることでは有りません。
自分自身が改革しないとダメです。
意識改革をすることにより会社の元気となり、家族の和が出来、自分の成長も見込めます。
経営者は危機感を持たなければいけないと考えています。
頭で考えても行動に移さないと意味はありません。
※平成22年3月13日「愛知セミナー」発表内容より